Donald Lee King
 
 
(1923-2007)
 
     
去る7月28日(アメリカ時間)、シェリダンスタイルカービングの創始者であるドン・キング氏が逝去されました。数年間に渡ってガンの闘病生活をされていました。
悲しい、残念、悔やまれる、などの言葉がまず浮かびますが・・・しかしそれとは別の角度から僕の想う事を想うがままに書き綴りたいと思います。ご無礼がありましたらお許し下さい。
     
  日本における「ドン・キング」という名の認識  
  ドン・キング氏は、日本では「シェリダンスタイルの生みの親」という漠然とした認識しかなく、知名度もそれほど高いものではないと思います。

しかし「シェリダンスタイルの生みの親」という肩書きは、ドン・キングという人物のほんの一面であり、また、「シェリダンスタイルの生みの親」という意義についても、もっと深く考えてみるべきだと思います。
彼がウェスタンサドル業界とレザークラフト業界に遺してくれたものと功績、そして、アメリカでは間違いなく伝説となる人物である事を考えると、彼の名前が日本では漠然とした認識しかないままいつの間にか埋もれていってしまうのは、あまりに惜しいと思うのです。

 
     
  ドン・キング氏の生い立ち  
  彼の父親は、例えると包丁を持って料亭を渡り歩く料理人のように、サドルを担いであちこちの牧場を渡り歩く流れ者のカウボーイでした。
幼少の頃に両親が離婚し、父親に引き取られたドン・キング氏は、幼少の時から父について様々な牧場を渡り、カウボーイの雑務、乗馬、馬の調教などを実体験として身につけると共に、行く先々でサドルに付随する革小物を作れる器用なカウボーイと寝食を共にし、そして時間を見つけては街にあるサドル工房に入り浸り・・・詳しく述べると非常に長くなりますが・・・結果として、10代半ばにはサドル工房でサドルの修理と小物製作の職人として働くに充分な知識と技術を身につけ、同時に、当時は「工具(特に刻印)は自分で作るのが当然」という時代でもあったため、工具の作り方も身に着けてゆきました。
その後も様々な牧場や工房で働き、自然の成り行きとして様々な地方や様々な職人のカービングの作風、知識、技術を職業としての現場で身に着けるという膨大なバックグラウンドを培ってゆきます。
20歳の頃には彼のカーバー(カービング職人)としての名声はアメリカ西部全土に知れ渡るまでになり、そして20代半ばの頃シェリダンに落ち着き、シェリダン市内のサドル工房で丁稚奉公として一年間、サドルの修理ではなく製作を本格的に学んだ後、自分の工房を開業しました。
少年の頃からカウボーイとホーストレーナー(馬の調教師)として体で覚えた乗馬技術、そしてクラフトマンとしての膨大な経験に裏打ちされた、彼のサドルが逸品である事は言うまでもありません。

以上のように、ドン・キング氏は不遇と言える少年時代をすごした一方、1900年代初頭から1940年代、50年代というのはサドルの構造もレザーカービングも発展途上から完成の域に達する時期でもあり、この時代に10歳にも満たない頃から生の現場で経験を積み、職人、そしてアーティストでもあるドン・キング氏が誕生しました。

 
     
  ドン・キング氏の功績と人物像  
  その後、膨大なカービングと刻印作りの技術、知識、経験を基に、独自のカービングスタイルを追求し、数年間に渡る試行錯誤の末、1950年代に、現在いわゆる「シェリダンスタイルカービング」と呼ばれるようになった最初の作風を完成させます。
そしてすでに培った膨大なバックグラウンドに加え、常に探究心と向上心を持ち続け、サドルとカービングの職人というだけでなく、カウボーイ、ホースマン(馬の管理や調教師)、馬具全般の職人、工具職人、刻印職人、往年の名ミシンのリストア(修復)職人、どれをとっても超一流の称号を得ると共に、後に成功したビジネスマンとして品質の高さと規模の大きさを兼ね備えた店と工房を構えます。
そして同時に、西部開拓時代、カウボーイ産業、サドル産業に付随するもののコレクターとしても有名です。その膨大なコレクションは彼の店に隣接する個人博物館で展示してあり、サドル産業とサドル職人の歴史を語るとき、全米中のどのウェスタン博物館でも、彼の個人博物館の右に出るものはないと思います。

こうしてありとあらゆる意味で名声を築き上げていった彼ですが、「今の自分があるのは先人の職人達のお陰」という気持ちが強く、常に先人達への尊敬と感謝の念を持ち続けた、というのは有名な話です。
そして彼が努力と苦労の末に培った知識と技術を積極的に後進に伝え、育てたお陰で現在のシェリダンという街のサドル産業、カービング産業があります。
現在、第一線で現役で活躍するシェリダンの職人が皆「ドン(キング)が私にしてくれた事への感謝の念は言葉では言い表せない」と口を揃え、彼を慕い続けているところからも、ドン・キング氏の職人だけではない人格者としての崇高さもうかがい知れます。

私には、ワイオミング州の片田舎、シェリダンという街の職人達の技術の高さ、作品の魅力だけでなく、ドン・キングという絶対的な存在を中心として、職人が皆、仲たがいすることなく確固とした絆で一致団結している姿が非常に美しく思えるのです。
そういう意味も含め、やはりシェリダンは「聖地」なのです。

カウボーイとサドル産業が全盛であったという時代背景、そしてドン・キング氏の少年時代の家庭環境、父親の職業、彼の生まれ持った才能、そのようなすべての条件の合致という事を考えると、現代のように牧畜産業が機械化され、カウボーイもサドル産業も廃れる一方の社会では、彼のような職人が誕生する可能性は2度とないのではないでしょうか。
ドン・キング氏こそ、「その時代」を生き、結果を残し、これほど多くの後進に職人としての財産を伝えて去っていった最後の職人なのではないかと思います。

 
     
  シェリダンスタイルの普及と私たちが受けた恩恵  
  こうして1940年代にドン・キング馬具店が誕生し、乗馬業界や同業者の間だけで話題になっていた彼のサドルと1950年代に生まれたシェリダンスタイルカービングは、1980年代になってコレクションやアートとしても注目されるようになり、アメリカ全土に一気に広まりました。
私の知る限り、日本には1990年代前半に入り、情報や工具をアメリカから仕入れる機会のある一部の人たちの間で徐々に普及し始め、2000年代になってテキストと情報、工具の充実とともに、一気に普及したように思います。

私達が現在取り組み、そしてこれからますます普及してゆくであろうシェリダンスタイルは、先に述べたような時代と環境を生きてきたドン・キング氏が、その膨大なバックグラウンドから誕生させたものです。そして、彼自身とその後進の方々が育て、進化し、発展してきた素晴らしく魅力的なカービングスタイルです。

シェリダンスタイルの魅力を象徴するエピソードとして、今まで全くレザーカービングに興味がなかったクラフターが、「シェリダンスタイルを見てカービングを是非やりたくなった」という声を多数聞いたことがあります。特に今までカービングを「ウェスタン色、男性色が強すぎる」と敬遠していた女性に多いようです。
この事は、レザーカービング観に関して特筆すべき事だと思います。

そしてシェリダンスタイルカービング熱が日本で高まる中、一昨年、去年と、ドン・キング氏を始めとするシェリダン現地の方々の協力とクラフト社の尽力があり、クリントン・フェイ氏とジム・ジャクソン氏というシェリダン在住の現役職人による日本での講習会が実現しました。
ドン・キング氏の孫が製作する工具も輸入販売されています。

シェリダンスタイルカービングというものの存在、そしてドン・キング氏の弟子達の来日講習、ドン・キング氏の孫が製作する工具の輸入販売などを考えたとき、私達はドン・キング氏から直接的にも間接的にも多大な恩恵を受けています。
実際、2000年のビル・ガードナー氏とクリントン・フェイ氏によるシェリダンスタイルカービングのテキストの発売以来、日本でのレザーカービング熱が一気に高まったように感じます。
そして今後も、シェリダンスタイルカービングは間違いなくますます広まり、それをきっかけとしてレザーカービング熱もさらに高まってゆくでしょう。

 
     
  ドン・キング氏の晩年と死  
  ドン・キング氏は、シェリダンのみならず、業界において絶対的な地位を築いたにもかかわらず、何歳になっても常に「その先」を目指し、トップを走り続ける職人でありました。
心臓のバイパス手術を受けた後、80歳を超えた後で何百というフラワーを彫った非常に難しい構造のサドルを製作しました。その頃に製作した、指の爪ほどの大きさのフラワー約100個で埋め尽くしたベルトも、私は目の当たりにしました。
そしてガンに侵され、末期症状となり入院生活を続けていた時でさえ、「いつか必ず克服してもう一度作業台の前に立ちたい」と言い続けたそうです。
これらがドン・キングという人物の職人魂を象徴しているのではないかと思います。

そのドン・キング氏は先日逝去されました。
シェリダンを訪問しても、もう2度と姿を見る事も、言葉を交わす事も、オーラを感じる事もできません。
そして彼の死は、サドル業界にとってもレザークラフト業界にとっても計り知れないほどの大きな損失です。
だからせめて、ドン・キング氏の人生、彼がこの世に存在した意味、彼が遺してくれたもの、彼の職人魂、改めて噛み締めながらシェリダンスタイルカービングを語り、取り組んでゆきたいと思うのです。
そして同時に、「Don King」という名前を決して忘れず、埋もれさせてはいけないと思います。ドン・キングを永遠の伝説にしなければなりません。

 
     
  私がドン・キング氏に贈りたい言葉  
  月並みな言葉ですが
「あなたが存在した事、あなたが遺してくれた物、決して忘れません。あなたの姿と精神が、多くのレザークラフターの中でいつまでも生き続けてくれると信じています。数々の素晴らしい遺産を本当にどうもありがとうございました。」
月並みではない言葉として
「苦しい闘病生活お疲れ様でした。しかし『ゆっくりお休み下さい』とか『安らかにお眠りください』という言葉は絶対に言いません。あなたは休むこと無く常に走り続けるクラフトマンである事を知っていますし、そうあり続けて欲しいと願うからです。
天国で思う存分創作活動を続けて下さい。素晴らしい作品が生まれる事をお祈りしています。Good Luck」
 
  "I keep deeply in mind that you used to surely exist, and what you have left us. I believe that your body image and spirits live on eternally in many crafters' mind. Thank you very much Mr.King for countless precious heritage you left.
You are done with painful struggle against your illness. But I wouldn't say, "Take a good rest" either "Sleep well". Because I know you are a kind of craftsman, who always continue on, without stop and rest. And I wish you hang on what you are.
In heaven, please continue creative activities as much as you want. I hope you will produce wonderful creations. Good luck !"
 
 
文: 大塚 孝幸
Written by Taka Otsuka
 
※日本におけるシェリダンスタイルカービング第一人者の皆様へ
日本でのシェリダンスタイル創成期、またはそれ以前とも言える時期から真摯にシェリダンスタイルに取り組んでこられた島根県のL親子様、僕と一緒にシェリダンを訪問し、ずっと一緒に頑張ってきたマジョーアさん、シェリダンスタイルの普及の土台を築かれたK先生とC社の皆様、その他、僕が知らないだけでシェリダンスタイルの普及に尽力、貢献された皆様、誠に恐縮ながら僕個人としての想いを好き勝手に綴らせていただきました。
しかし、僕自身が日本のシェリダンスタイルを語る代表だという気持ちは絶対にありません。
僕にも僕なりに、シェリダンスタイルとドン・キング氏に対する深い思いがある、という事で、どうぞご無礼をお許し下さい。
皆さんと一緒にドン・キング氏の死を悼み、そしてこれからも真摯にカービングに取り組んでゆきたいと思います。